7年間〜今の私ができるまで〜 その4
| <小学5年生> 「学校」が問題、「先生」が問題。 ・・・いえ、「自分」の問題。 これは、この小学校高学年のころいろいろなことを批判していた自分に言いたいことです。なぜこのころはこんなにもいろいろなことを批判していたのだろうかと、今になって思います。もしかすると、不登校というものが社会で大きく取り上げられ始めたのと同時期だったからかもしれません。 学校が悪いの、先生が悪いの、行かなくなってあたりまえなの。 そのようなことを言えば世間はそうだろうそうだろうと納得してくれて、気分がよかったのでしょうか。私はテレビや新聞なんかの情報に気づかぬうちに右足一本くらいつかってました「不登校」である自分は彼らが言っている「不登校」と同一のものと幼い私は勘違いしそうになっていたかもしれません。でもある日、もう一度「待てよ」と考えたんです。右足をつかっていたところからズボッと引き抜いてみました。 私はなぜ行かなくなったのか。 そんなわかってて当然のことが、もう一歩でわからなくなってしまうところでした。私は私が通っていたところが「どうしようもなく改善の余地がない学校」だったから行かなくなったのか。私は「サラリーマン先生」に嫌気がさしたから行かなくなったのか。私は「集団生活になじめない」から行かなくなったのか。考えてみて、どれもそうだ。と、思いました。でもどれも後から出てきたもので、「最初の本当の目的」ではないことにも気づいたのです。 私は先生のことも特別好きなわけじゃないだけで、嫌いではなかった。集団生活もはたから見てみてなじめないとは思うものの、その中に入っている間はけっこう図太く合わせてはまってみせている。この体験記をここまで書くまでに、いろいろごちゃごちゃ言ってますがそれらもすべて後から考えて思ったこと。 最初はどうだったんだろう。 そうだ、私は学校が耐えきれないほど嫌だったから行かなくなったんじゃない。もっとやりたいことを見つけたから、行かなくなったんだった。 もっともっと「家族と過ごす」時間。「思案」の時間。「遊び」の時間。「想像」の時間。「創造」の時間。そして、「何もしない」時間を。 考えてみればこんなにも前向きなことだったのに、どうしてわざわざ世間に合わせ後ろ向きな批判をしていたんだろう。最初はこんなにも自分自身のことだったのに、どうして「学校」や「先生」に何かを向けてしまったんだろう。私がそれまでしてきた「批判」は、本当に私の意見だったのだろうか。どこかでだれかが言っていたことを、あたかも自分の意見のように言ったことがなかっただろうか。だから、「あれが悪い」「これが悪い」と言うだけで「じゃあ、どうしたらいいと思うのか」が何もなかったのではないだろうか。とても素直で簡単な自分の意見を、わざわざ難しく理論づけたものに変えてはいなかっただろうか。 考え出したらどれにも頷くしかなく、恥ずかしくなった。私は最初に持っていた大事な「考え」のことをすっかり忘れてしまいそうになっていました。まだマヒした感覚の残っている右足をさすりつつ、そう気づいたのはやはり5、6年生の頃だったでしょうか。テレビや新聞が言っていることは、一般的な意見だけど、それが必ずしも正しいかどうかはわからない。どう思うのかは自分が考えるべき。そうだ、そういえば私はそのために「思案」の時間がほしかったんだった。気づいたら、なんだかすっきりしました。そして、もう一度はっきり自信をもって今まで歩いてきた道、今から歩いていく道を見ることができたのです。 そういえば中学生のころ「ひるさがり」という童謡の歌詞を作ったことがあったんですけど、このへんで考えていたことが元になったのかな。兄に曲をつけてもらってどこかの童謡コンクールに応募した歌です。賞にはかすりもしなかったのですが、自分自信では気に入っているから歌詞を書いてみよう。 <ひるさがり>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 草原のどまんなか一本道を あてもなく歩くのがカッコいいって思ってる ほとんどの奴がバスに乗っても 僕だけは歩いてつっききるんだ
雲より遅くて十分さ この星が僕にくれるもの見落としたくはないんだ
特別なお日様の勲章でしょ
勲章なんだ
ジャラジャラ音たてマラカスみたい やたら重くてしんどいけど なぜだかとってもうれしいんだ
ひこうき雲はどこまでゆく? 小鳥の小さな呟きを聞きのがしたくないんだ
ダボダボでも父さんになれるんだ
でもなれるんだ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− |