私はいまから、おともだちのおうちを訪問しようと思っています。駅のホームでコーヒーを買って、電車を待っているところです。
なんてね。その名が示すとおり、"ホームページ"というのはまさに「家」なんですが、ウェブ上のおともだちのおうちに行くには、電車は要りません。クリックひとつ。いまや当然のことのように思えますが、慣れてしまうとその不思議さにはあまり気づかないものです。おともだちのおうちに行くためには、歩いていったり、自転車に乗ったり、車に乗ったり。現実世界ではそれが当然なんですが、ウェブの世界ではそんなもの要りません。ものすごく簡単。
しかも、おともだちのおうちの中は、ウェブ上では簡単に覗けるものとしてあります。カギのあるおうちはめずらしい。オーソライズが必要で、パスワード入れなきゃ入れないおうちも勿論ありますが、ウェブ上ではまれです。どのおうちにもカギがなくって、ドアはいつでも開けっ放し。そのうえ、「相互リンク」という形で、カギなしでお互いのおうちをつなぐことが習慣となっているのです。ネットに慣れた者にとっては、オーソライズの必要なページなんて苛立つだけで、ささっとおうちののなかが覗けなきゃ駄目なのです。これって本当は、ものすごく不思議なことだと思いませんか?
おうちといえば思い出すのが、私が高校のとき初めて読んだ安部公房の短編『赤い繭』。『壁』という芥川賞受賞作のなかの一編です。とても短いですが、印象的で忘れられない作品です。
主人公は、じぶんの家をさがしもとめて歩きます。疲れきって、おれの帰る家はどこだっただろうか、と。ついに彼は、そのへんの家のチャイムを押します。”ここは私の家ではなかったのですか?”と。もちろん、出てきた女は不審そうな顔をします。彼はさらに言います。”だから、ここが私の家でないなら、証拠を見せて欲しいんだ”と。女はそこでピシャリとドアを閉めます。
さて、ウェブ上のおうちの話ですが、他人のおうちを”ここは自分の家だ、自分の家でないというなら、証拠を見せろ”ということが出来るでしょうか?やっぱり出来ませんね。ウェブ上のページだってしょせん誰かの所有物であって、それは決められた約束事です。無料であれ何であれ、プロバイダにウェブスペースを借りる契約をしたのですから、そこから我々はウェブスペースを私物化することになる。しかし、自分で中身を入れ替えたり新しく物を増やしたり、そういうことはできても、ウェブスペースの管理人は、他人が入ってくるのを止めないし、ちょっとした技術がなければ止められません。だから、私物化といっても、半分しか私物化されてないような気もするのですね。公にすることを前提としたおうち。むしろ、ウェブスペースの管理人は、ドアをあけはなして他人が来ることを歓迎します。
もちろん、見ず知らずの他人が来ることを歓迎しない人もいます。たとえば2ちゃんねるにURLを晒せば、ものすごい数の人々が押し寄せてくるでしょう。家の中を荒らす人もいるでしょう。大方の管理人はそれを喜びません。
(逆に、あそこに晒されることを喜ぶ人もいます。宣伝になるから。”家”というプライベートスペースに、宣伝の結果たくさんの人が来ます。面白いですね、新たな”家中心主義”とでもいいましょうか。その時点でもうプライベートスペースではなくなってしまうのに、やっぱり”ホームページ”っていうんですよね。)
ウェブ上の家でピシャリとドアを閉めることは確かにあります。でも、それは荒らされたときなど、極端な場合です。ウェブ上のおうちは、気軽におともだちを呼べる、そんなおうちなのです。
ちょっと考えれば、昨今では現実世界で「家に人を呼ぶ」ことがかんたんではないことがわかります。だれの家にも物がいっぱいで、収納や片付けに苦労しています。恥ずかしくて見せられない、そんな場合もある。あとは家族への気遣いとか、色々ありますが、おうちに人を呼ばなくなったとき人は孤独を味わう、一面ではそういうこともあるかもしれません。
つまり、わたしたちは、自分の住んでいる"家"だけではものたりなくて、さらにウェブ上に新しい家を設けようとしているのではないでしょうか。自分の住んでいる家ではあきたらず、非日常空間に新しい家を設ける。そこに住むのは、もちろんウェブ上の人格、身体はありません。ホームページ作って、インターネットばっかりやってる人間は、ウェブ上の人格しかないという場合もあるようです。わたしたちは現実の家におともだちを呼ばなくなったぶん、仮想の家におともだちを呼ぶのです。身体のない、精神だけの場所に。
だからちょっとだけ、身体を登場させてみました。三島由紀夫を「近代ゴリラ」と呼んだ全学連の学生たちはそのかみ、知性や精神性だけで生きてる丸山真男を殴ったわけですが、われわれネット世代も「身体」をさておき「精神」だけの人格を作り出そうとしているのかもしれないのですね。新たなかたちで。やっぱり殴られちゃうのかしら、なんてね。
さて、ホームページを作っている人々は、自分のおうちをきれいにしたがります。素敵な家具を置いたり、絵や写真などの調度品を置いてみたり。ウェブ上のおうちは、もはや「家」という名のプライベート空間ではなく、置いてあるのは他人に見せるための調度品です。
私は少し前、このページをリニューアルしたとき、シンプルに、表札だけにしようと思いました。それなら、ウェブ上の家に住む私という精神だけの人格ができなくて済むのかな、と思ったのですが、どうやらそれも難しいようです。もうしばらくはプライベートに近い空間でありたいと願っていますが。
長くなりましたが、どうぞほかのおうちをお楽しみください。では電車がきたようですので、行って来ますね。
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